水力で原発を代替させよ - 火力の燃料コストは不要だ
水力で原発を代替させよ - 火力の燃料コストは不要だ
前回(1/21)、再稼働なしでも今夏の電力不足は生じないと政府資料がコミットしていること、国が巨額の税金(5794億円)を投じて対策を講じ、安定的な電力環境を国民に保障していることを指摘した。本日(1/23)、この問題に関わる重要なマスコミ報道が飛び出し、昨年の政府の電力需給予測に捏造があった事実が暴露された。発表された政府の試算では、今夏、約1割(-9.2%)の電力不足になるという結論が示されたが、実際には、「6%余裕」が生じる試算を国家戦略室の別のチームが出していた。この別チームこそ、菅直人の直属で、経産官僚から独立して実態を調査していた特命部隊であり、政府内の事情に詳しい飯田哲也が「Bチーム」と呼んでいた民間メンバーの集団である。私は、政府発表(7/29)で示された予測に対して、自家発電(埋蔵電力)の供給量を不当かつ姑息に過小評価し、供給量の全体を小さく見積もっていると8/1の記事で批判した。さらに、政府が莫大な税金を投じて、原発全基停止後の電力環境を保障した対策やコミットについても、もともと列島の発電設備に余力があり、その裏があるから、官僚は安んじてコミットができるのだと指摘した。今回の報道は、この推理が正しかったことを証明するものだ。つまり、5794億円の対策予算など使わなくても、今夏、原発全基停止後の電力供給に何も問題はなかったのである。
原発を全基停止しても、空前の猛暑だった2010年夏ピーク時の電力供給は可能であり、なお6%分のサープラスを持っていたのだ。つまり、需給予測は-9.2%ではなく、+6%だったのであり、-9.2%という数字は真っ赤な嘘で、国民は玄葉光一郎と霞ヶ関に騙されたのである。昨年6-8月の試算作業の時点で、原発を全基止めても、他の発電設備の稼働で1年後に+6%の供給余力を見通せていた。小出裕章の『隠される原子力・核の真実』のP.107に、「発電設備容量と最大需要電力量の推移」と題した図がある。3.11の事故以来、昨年前半、何度も見てきたグラフであり、広瀬隆も繰り返し紹介したデータだが、それによると、何と、日本の発電設備容量たるや、全体で2億7500万kW(2005年)もあり、2010年夏のピーク時記録である1億7964万kWをはるかに超えていて、ピーク需要時でさえ全体の3分の1以上の設備が休眠しているのである。原発を除いた水力・火力・自家発の合計でも2億3000万kW超の発電容量があって、2010年夏のピーク時需要の130%に達する。また、本のP.106に、水力・火力・自家発・原子力の設備利用率を示した図表(2005年)がある。原発は70%だが、火力は48%、自家発は55%、水力はわずか20%。発電をしていない。止めている。原発を止め、水力・火力・自家発の遊休設備を稼働させればよいというのが、広瀬隆や小出裕章が言ってきた主張だった。
ずっと言ってきたことだが、昨年夏、やらせ事件で騒動になった九電管内で、あれほど電力不足だから再稼働だと喚きながら、一度として利用者に節電が要請されたことはなかった。四電も同じである。冬になって、形だけ節電要請を始めているが、この動きは原発停止後の「電力不足」を演出するアリバイ工作の疑いが強い。再稼働に向けて政治環境を固める一環だ。九州と四国の冬は暖かくて、電力不足が生じるなら夏場だろう。原発の発電比率が41%の九電、同38%の四電で、昨年、次々と定期点検で原子炉が停止する中、どうやって真夏の電力を調達したのか。節電を強いられた首都圏の住民から見て、その対応は手品のようだった。60Hz帯の西日本は、関電(48%)を中心に原発依存率が高く、電力会社間の電力の融通もタイトだろうと誰もが想像する。手品の仕掛けがなければ、九電と四電の「節電なし」の事実は説明できない。九電と四電は、正直に言わないが、休眠中の水力設備を稼働させたのだ。毎日の暴露記事には、需給予測の-9.2%が本当は+6%だった電源の中身が一覧表で示されていて、火力で+584万kW、揚水で+596万kW、再生可能エネルギーで+350万kWと、それぞれ大幅に上方修正されている。これほど大きな予測ミスを官僚がしたのは、意図的な隠蔽行為としか思えない。国家戦略室には説明責任がある。以下、本題に入るが、水力については過小評価はなかったのだろうか。
資源エネルギー庁のサイト内に、水力発電に関するデータが掲載されていて、参考になるので紹介したい。2003年の古い統計だが、円グラフの数字に注目すると、日本全体の発電容量は2億6829万kW、(ピーク時の)発電量は1億7472万kW、そのうち水力は17.4%の4678万kWとなっている。原発も17%の4574万kW。水力と原発はほぼ同じ。小出裕章の本(P.106)のグラフ(2005年)に戻って、水力の年間発電設備量は4000億kWとなっている。そして、その設備の稼働率が20%であり、800億kWの発電しかしていない。原発は稼働率70%、火力は48%。日本の水力発電は、実にピーク時に対応した電源なのであり、フレクシブルな位置づけが政策で与えられているのだ。その真相を最もよく図解したグラフが、同じエネ庁の公開情報の中にある。これは、1日の時間帯別の電源の構成を示したものだが、基本的に、日本の電力がどう生産されているかを一図で捉えている。概念が示されていて分かりやすい。時間軸を1年に置き換えても同じだ。最も基底に原発が位置され、その上に石炭・LNG・石油の順で火力が積み重ねられ、最後に水力で加減が調整される。この順序と発電量の調節が全てを物語っている。ウランを燃やす原発は、最初から発電量が固定されているのであり、原発に調整と変動の契機はないのだ。だから原発の稼働率が高い。原発依存率30%は、他電源と比較したときの稼働率の高さのためにもたらされている。
つまり、原発を動かすために水力の設備を止めているのであり、原発と水力を同時に稼働させると、供給がオーバフローになるのだ。これは、逆に言えば、水力をフルに稼働させれば、原発を停止させても需要をカバーできることを意味する。水力はテンポラリーな電源にされている。断りを入れるが、私はダムを新規に増設しろと言うのではない。既存の設備を活用せよと言っているのであり、原発の代替電源として着目せよと提起している。エネ庁も宣伝しているとおり、水力はクリーンエネルギーである。風力や太陽光と較べても、単位当たりのCO2の排出量が少ない。それと、水力に焦点を当てる最大の理由は、燃料のコストがかからない利点である。水力には燃料がない。一般に、水力の発電コストが火力より高いデータが出回り、それが常識として定着しているが、そこには留意すべき条件が二点ある。第一に割高になる揚水発電を含んでいること、第二に設備稼働率が低く抑えられているため、固定費に対して発電量が小さいことである。稼働率を上げて発電総量を増やせば、単位当たりの発電コストは低下する。現状、原発の再稼働をめぐる議論においては、火力で代替する方法のみが喧伝され、水力は候補から除外されている。その前提の下、火力の燃料コストの増大がプロパガンダされ、料金値上げを容認しろとか、それが嫌なら再稼働を認めろという方向に収斂している。その論理で脅迫がされ、東電と官僚の主張が正当化され、二者択一を扇動されている。
火力は一つの選択肢だが、唯一絶対の代替策ではないのだ。まして、風力や太陽光が立ち上がるまで、原発が必要だなどというエネルギー論はない。東電は、原発を火力に置き換えるために今年度8000億円の燃料費増となり、利用者に負担しろと要求している。もし、火力ではなく水力で問題解決できるとすれば、単に設備稼働率を上げるだけで、高い化石燃料を購入する必要はなく、この8000億円コスト増はゼロか半減以下に圧縮できるはずだ。私自身は、将来のエネルギーの主力は非在来型の天然ガス(シェールガス、メタンハイドレート)を燃料とするGTCC(ガスタービン・コンバインドサイクル)だと展望していて、後者は発電効率で世界最強の性能を持った国産機であり、また欲を言えば、前者も国内の資源で自給できれば望ましい。この組み合わせをメインフレームに据え、その上に、地域の特性と必要に合わせた小規模な水力や風力や太陽光をサブシステムにする未来像が理想的だと考える。地産地消を設計思想にしたベスト・ミックスを構築したい。GTCCを動かすのは製造業(工場)や都道府県(ゴミ焼却場)で、彼らが徐々に発電事業の主体となり、電力会社がコモンな送電業者に変身する図はどうだろうと思う。そうすれば、料金低下の実現と同時に供給と品質の安定を確保できるのではないか。そこへ移行する繋ぎとして、現有施設である水力(ダム)に役割を期待するのであり、原発全基停止後の列島の発電において、獅子奮迅の働きで国民に最後のご奉公をして欲しいのである。
最後に、これもまた、昨年からずっと言い続けていることだが、脱原発を言う者の半分ほどが、脱原発の意味を「原発を自然エネルギーで置き換えること」だと定義づける集団である。そして、その「自然エネルギー」の中身は風力と太陽光の二つである。代表的な論者として、飯田哲也と金子勝と孫正義を挙げることができるだろう。この「脱原発」は、何より自然エネ産業の立ち上げを動機とする「脱原発」であり、化石燃料を地上から根絶することを主眼とし、風力と太陽光のみを電源とすべしとする一派である。5-10年の時間をかけた「脱原発」でよいとする妥協派であり、安全基準を新しく設定した上での原発再稼働を認める立場である。したがって、GTCCやシェールガスの可能性に無関心で、テレビやネットの議論でその意義に言及しない。脱原発主義者と言うよりも、むしろ自然エネルギー主義者である。しかしながら、彼らが「脱原発」の論壇の中心で活動しているため、マスコミでは「脱原発」の一般像が飯田哲也と金子勝に象徴され、この二人の言説が「脱原発」の標準になってしまっている。われわれ、広瀬隆や小出裕章のような、全基即時停止の立場は、脱原発の正統ではなく異端にされていて、「原理主義」だとか「感情論」などという不快なレッテルが貼られている。金子勝や飯田哲也の「脱原発」が主流のようにマスコミで報道され、その観念が一人歩きした結果、原発の再稼働を容認する政治家たちも「脱原発」の括りに入る欺瞞を許してしまった。今、声を大にして言わなくてはならないのは、金子勝と飯田哲也は脱原発ではないということだ。
そして、原発の代替電源として水力をクローズアップし、東電の「燃料コスト増」論を一蹴することだ。
緊急事態です。明日、原発輸出に関する日越政府合意が発表されそうです。
緊急事態です。明日、原発輸出に関する日越政府合意が発表されそうです。
この状況を見過ごすことはできません。
24時間・緊急署名にご協力ください。メールで、ブログで、ツイッターで拡散
してください。締め切りは、明日の正午までです。よろしくお願いします!
==============拡散希望!=====================
【24時間・緊急署名】
私たちは、原発輸出を促進する日越合意に反対します
輸出すべきは、福島の経験であり、命を脅かす原発ではありません
http://goo.gl/td0KY
(どちらからでも署名できます)
署名フォーム1:http://goo.gl/GGBNL
署名フォーム2:https://pro.form-mailer.jp/fms/356a455e23405
締め切り:10月31日正午まで
---------------------------------------------
福島の原発事故は未だ収束せず、日本の大地、自然、海にいまも放射能物質が降
り注いでいます。福島をはじめとして、多くの人達が、放射能汚染の危機にさら
され、生活を破壊され、苦しんでいます。事故の原因さえ、究明されていません。
そんな中、原発輸出をまた一歩前進させる日越政府合意が行われようとしています。
現在、ベトナムでは、日本の税金によってニントゥアン省の原発建設に向けた実
行可能性調査が実施されています。しかしこの調査の結果は、ベトナムの住民や
日本の納税者に公開される保証もありません。
ベトナムの建設予定地は、風光明媚な自然が広がり、住民たちは漁業や農業、観
光などでくらしをたてています。原発建設はこのような住民の生活を脅かすもの
です。
さらにひとたび事故が起これば、放射能汚染はタイ、カンボジア、ラオスなどの
ベトナムの近隣国にも広がります。ベトナム政府は、自国民に対する説明責任を
果たしていないのと同様、これらの国々の住民にも一切の説明責任を果たしてい
ません。
私たち、経済産業省前に集った北海道から九州までの女たち、そして原発輸出に
懸念を有する市民たちは、日本政府の原発輸出に強く反対します。輸出すべきは、
福島の痛みによって得られた貴重な経験であり、断じて原発ではありません。
以上を踏まえ、私たちは日越両政府に対して、以下を要請します。
・日本政府は、原発輸出を行わない方針を明確に打ち出すこと
・日本政府は、原発輸出に向け、これ以上無駄な税金を使わないこと
・日越両政府は、現在実施されている実行可能性調査を打ち切ること。
・日越両政府は、ベトナム国民、ベトナム近隣国の住民に対する説明責任を果たすこ
と。
以上
呼びかけ団体:原発いらない全国の女たちアクション
--
満田夏花 MITSUTA Kanna
携帯:090-6142-1807
国際環境NGO FoE Japan/tel: 03-6907-7217 fax: 03-6907-7219
年金支給年齢の引き上げの議論が始まった
年金支給「68〜70歳」議論で厚労省3案提示
読売新聞 10月11日(火)21時58分配信
厚生労働省の社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の年金部会は11日、厚生年金の支給開始年齢を将来的に68〜70歳に引き上げるための議論を本格的にスタートさせ、三つの案を提示した。
同省は、年内の改革案取りまとめを目指す。
厚生年金の支給は、男性は2025年度まで、女性は30年度までに、それぞれ60歳から段階的に65歳まで引き上げ、基礎年金と合わせることがすでに決まっている。
だが、厚労省は、少子高齢化の急速な進展や、国民の平均寿命の伸びを念頭に、年金財政の安定化のためには年金支給開始年齢の一層の引き上げの検討に入る必要があると判断した。
3案は、〈1〉厚生年金の支給開始年齢を3年に1歳ずつ引き上げる既定スケジュールを「2年に1歳ずつ」に前倒しし、65歳に引き上げる〈2〉厚生年金を現在のスケジュールで65歳まで引き上げた後、基礎年金と併せて支給開始年齢を3年に1歳ずつ引き上げ、68歳に引き上げる〈3〉2年に1歳ずつ前倒しして65歳まで引き上げた後、さらに同じく2年に1歳ずつ引き上げ、両年金の支給開始年齢を68歳に引き上げる――との内容だ。
しかし、年金年齢引き上げの議論している人間は、年金に依存しなくても生きていける人間ばかり、他人事で自分の立場を守ることを優先している人間に議論して、支給される側の気持ちなど到底わかる由もない。
読売新聞 10月11日(火)21時58分配信
厚生労働省の社会保障審議会(厚労相の諮問機関)の年金部会は11日、厚生年金の支給開始年齢を将来的に68〜70歳に引き上げるための議論を本格的にスタートさせ、三つの案を提示した。
同省は、年内の改革案取りまとめを目指す。
厚生年金の支給は、男性は2025年度まで、女性は30年度までに、それぞれ60歳から段階的に65歳まで引き上げ、基礎年金と合わせることがすでに決まっている。
だが、厚労省は、少子高齢化の急速な進展や、国民の平均寿命の伸びを念頭に、年金財政の安定化のためには年金支給開始年齢の一層の引き上げの検討に入る必要があると判断した。
3案は、〈1〉厚生年金の支給開始年齢を3年に1歳ずつ引き上げる既定スケジュールを「2年に1歳ずつ」に前倒しし、65歳に引き上げる〈2〉厚生年金を現在のスケジュールで65歳まで引き上げた後、基礎年金と併せて支給開始年齢を3年に1歳ずつ引き上げ、68歳に引き上げる〈3〉2年に1歳ずつ前倒しして65歳まで引き上げた後、さらに同じく2年に1歳ずつ引き上げ、両年金の支給開始年齢を68歳に引き上げる――との内容だ。
しかし、年金年齢引き上げの議論している人間は、年金に依存しなくても生きていける人間ばかり、他人事で自分の立場を守ることを優先している人間に議論して、支給される側の気持ちなど到底わかる由もない。
本当の豊かさとは何か
近代以降、国の豊かさを測る指標として
「GNP(国民総生産)」や
「GDP(国内総生産)」が用いられてきました。
これらの数字があがることが豊かであるということでしたが
この数字をあげるだけでは、人は幸福にはなりませんでした。
現在も世界ではこの指標を用いて、
開発が行われ、生産と消費を繰り返しています。
本当の豊かさとはなにか?と問う必要があります。
あなたなら、どんなものさしで豊かさを測りますか?
脱原発で・・菅さん本気なか??菅さんだから言えることなのかもしれないですね。
「脱原発依存」目指す。菅首相、広島原爆忌で異例のあいさつ
時事通信 8月6日(土)8時49分配信
菅直人首相は6日午前、広島市で開かれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)であいさつし、今後のエネルギー政策について「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく」と、改めて表明した。犠牲者の追悼が目的の式典でエネルギー政策に触れるのは異例。深刻な放射能漏れを起こした福島第1原発事故を受け、首相の強い意向で盛り込んだ。
首相はあいさつで、原発事故について「放射性物質の放出を引き起こし、わが国はもとより世界各国に大きな不安を与えた」と陳謝し、早期の事故収束と健康被害の防止に向け「今後も全力で取り組む」と決意を示した。その上で、「これまでの『安全神話』を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じる」と強調。事故を「人類にとっての新たな教訓」として、「世界の人々や将来世代に伝えていくことがわれわれの責務」と訴えた。
この菅さんの発言は、これまでにない、素晴らしさを感じています。この発言は、政治的な保身のために自分の総理としての延命を目的として言っているのか?それは、総理の心のなかの問題で知る由もないが、しかし、経済会に引っ張られて発言をコロコロ変える政治家よりはよほど頼もしく感じるのは、私だけではないだろう。
時事通信 8月6日(土)8時49分配信
菅直人首相は6日午前、広島市で開かれた原爆死没者慰霊式・平和祈念式(平和記念式典)であいさつし、今後のエネルギー政策について「原発への依存度を引き下げ、『原発に依存しない社会』を目指していく」と、改めて表明した。犠牲者の追悼が目的の式典でエネルギー政策に触れるのは異例。深刻な放射能漏れを起こした福島第1原発事故を受け、首相の強い意向で盛り込んだ。
首相はあいさつで、原発事故について「放射性物質の放出を引き起こし、わが国はもとより世界各国に大きな不安を与えた」と陳謝し、早期の事故収束と健康被害の防止に向け「今後も全力で取り組む」と決意を示した。その上で、「これまでの『安全神話』を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じる」と強調。事故を「人類にとっての新たな教訓」として、「世界の人々や将来世代に伝えていくことがわれわれの責務」と訴えた。
この菅さんの発言は、これまでにない、素晴らしさを感じています。この発言は、政治的な保身のために自分の総理としての延命を目的として言っているのか?それは、総理の心のなかの問題で知る由もないが、しかし、経済会に引っ張られて発言をコロコロ変える政治家よりはよほど頼もしく感じるのは、私だけではないだろう。
失敗を恐れて行動しない事は失敗以上に大失敗だ
自信を持て。頻繁に失敗しろ。
不可能に対して健全な疑念を持て。
---ラリー・ペイジ
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ 解説
────────────────────────────────────
簡潔ですが、重要なメッセージです。
自信を持つこと、自分自身を承認することは、
なにかを行う上で欠かせない要素です。
自信がなく、自己を承認できないと、
私たちは身動きが取れなくなってしまいます。
また、失敗を恐れないことも重要です。
行動に対しての結果は成功より
はるかに失敗のほうが多いのは、
自明の理であるにも関わらず、多くの場合、
失敗を恐れて行動を起こさないのはないでしょうか?
そして、不可能だと思えることに対して、
本当に不可能なのかどうかを問うことが大切です。
私たちの歴史は数々の不可能の上に成り立っています。
日本にも森林伐採で紙が輸入されているのしっていますか?
森は私たちの祖先であり、お母さん。
森を守ることは、私たちの空気と水を守ること。
私たちを支えてくれる生物多様性を保つこと。
森を守ることは、私たちの未来を守ること。
だから、私は立ち上がる。
森の声を届けるために。
(『セヴァン・スズキの私にできること
〜森のつくりかた、守りかた』(ゆっくり堂)より)
http://namakemono.shop-pro.jp/?pid=5415695
morinokoe.comは、コトバを持たない無数の生きものたちの
「声なき声」に耳を傾け、生物多様性の宝庫である原生林が
これ以上失われないために「私たちにできること」を考え、
森に寄り添って生きるライフスタイルを実践していくための
プラットフォームです。
呼びかけ団体:ナマケモノ倶楽部
賛同団体:(株)ウインドファーム、(有)カフェスロー、(有)スロー、スローウォーターカフェ(有)、(一般社団法人)スロービジネスカンパニー
森を守ることは、私たちの空気と水を守ること。
私たちを支えてくれる生物多様性を保つこと。
森を守ることは、私たちの未来を守ること。
だから、私は立ち上がる。
森の声を届けるために。
(『セヴァン・スズキの私にできること
〜森のつくりかた、守りかた』(ゆっくり堂)より)
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作家 村上春樹さん スピーチ まさに日本が進めるべき方針ではないでしょうか?
作家 村上春樹さん スピーチ
カタルーニャ国際賞授賞式(6月9日 スペイン)
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
カタルーニャ国際賞授賞式(6月9日 スペイン)
僕がこの前バルセロナを訪れたのは二年前の春のことです。サイン会を開いたとき、驚くほどたくさんの読者が集まってくれました。長い列ができて、一時間半かけてもサインしきれないくらいでした。どうしてそんなに時間がかかったかというと、たくさんの女性の読者たちが僕にキスを求めたからです。それで手間取ってしまった。
僕はこれまで世界のいろんな都市でサイン会を開きましたが、女性読者にキスを求められたのは、世界でこのバルセロナだけです。それひとつをとっても、バルセロナがどれほど素晴らしい都市であるかがわかります。この長い歴史と高い文化を持つ美しい街に、もう一度戻ってくることができて、とても幸福に思います。
でも残念なことではありますが、今日はキスの話ではなく、もう少し深刻な話をしなくてはなりません。
ご存じのように、去る3月11日午後2時46分に日本の東北地方を巨大な地震が襲いました。地球の自転が僅かに速まり、一日が百万分の1.8秒短くなるほどの規模の地震でした。
地震そのものの被害も甚大でしたが、その後襲ってきた津波はすさまじい爪痕を残しました。場所によっては津波は39メートルの高さにまで達しました。39メートルといえば、普通のビルの10階まで駆け上っても助からないことになります。海岸近くにいた人々は逃げ切れず、二万四千人近くが犠牲になり、そのうちの九千人近くが行方不明のままです。堤防を乗り越えて襲ってきた大波にさらわれ、未だに遺体も見つかっていません。おそらく多くの方々は冷たい海の底に沈んでいるのでしょう。そのことを思うと、もし自分がその立場になっていたらと想像すると、胸が締めつけられます。生き残った人々も、その多くが家族や友人を失い、家や財産を失い、コミュニティーを失い、生活の基盤を失いました。根こそぎ消え失せた集落もあります。生きる希望そのものをむしり取られた人々も数多くおられたはずです。
日本人であるということは、どうやら多くの自然災害とともに生きていくことを意味しているようです。日本の国土の大部分は、夏から秋にかけて、台風の通り道になっています。毎年必ず大きな被害が出て、多くの人命が失われます。各地で活発な火山活動があります。そしてもちろん地震があります。日本列島はアジア大陸の東の隅に、四つの巨大なプレートの上に乗っかるような、危なっかしいかっこうで位置しています。我々は言うなれば、地震の巣の上で生活を営んでいるようなものです。
台風がやってくる日にちや道筋はある程度わかりますが、地震については予測がつきません。ただひとつわかっているのは、これで終りではなく、別の大地震が近い将来、間違いなくやってくるということです。おそらくこの20年か30年のあいだに、東京周辺の地域を、マグニチュード8クラスの大型地震が襲うだろうと、多くの学者が予測しています。それは十年後かもしれないし、あるいは明日の午後かもしれません。もし東京のような密集した巨大都市を、直下型の地震が襲ったら、それがどれほどの被害をもたらすことになるのか、正確なところは誰にもわかりません。
にもかかわらず、東京都内だけで千三百万人の人々が今も「普通の」日々の生活を送っています。人々は相変わらず満員電車に乗って通勤し、高層ビルで働いています。今回の地震のあと、東京の人口が減ったという話は耳にしていません。
なぜか?あなたはそう尋ねるかもしれません。どうしてそんな恐ろしい場所で、それほど多くの人が当たり前に生活していられるのか?恐怖で頭がおかしくなってしまわないのか、と。
日本語には無常(mujo)という言葉があります。いつまでも続く状態=常なる状態はひとつとしてない、ということです。この世に生まれたあらゆるものはやがて消滅し、すべてはとどまることなく変移し続ける。永遠の安定とか、依って頼るべき不変不滅のものなどどこにもない。これは仏教から来ている世界観ですが、この「無常」という考え方は、宗教とは少し違った脈絡で、日本人の精神性に強く焼き付けられ、民族的メンタリティーとして、古代からほとんど変わることなく引き継がれてきました。
「すべてはただ過ぎ去っていく」という視点は、いわばあきらめの世界観です。人が自然の流れに逆らっても所詮は無駄だ、という考え方です。しかし日本人はそのようなあきらめの中に、むしろ積極的に美のあり方を見出してきました。
自然についていえば、我々は春になれば桜を、夏には蛍を、秋になれば紅葉を愛でます。それも集団的に、習慣的に、そうするのがほとんど自明のことであるかのように、熱心にそれらを観賞します。桜の名所、蛍の名所、紅葉の名所は、その季節になれば混み合い、ホテルの予約をとることもむずかしくなります。
どうしてか?
桜も蛍も紅葉も、ほんの僅かな時間のうちにその美しさを失ってしまうからです。我々はそのいっときの栄光を目撃するために、遠くまで足を運びます。そしてそれらがただ美しいばかりでなく、目の前で儚く散り、小さな灯りを失い、鮮やかな色を奪われていくことを確認し、むしろほっとするのです。美しさの盛りが通り過ぎ、消え失せていくことに、かえって安心を見出すのです。
そのような精神性に、果たして自然災害が影響を及ぼしているかどうか、僕にはわかりません。しかし我々が次々に押し寄せる自然災害を乗り越え、ある意味では「仕方ないもの」として受け入れ、被害を集団的に克服するかたちで生き続けてきたのは確かなところです。あるいはその体験は、我々の美意識にも影響を及ぼしたかもしれません。
今回の大地震で、ほぼすべての日本人は激しいショックを受けましたし、普段から地震に馴れている我々でさえ、その被害の規模の大きさに、今なおたじろいでいます。無力感を抱き、国家の将来に不安さえ感じています。
でも結局のところ、我々は精神を再編成し、復興に向けて立ち上がっていくでしょう。それについて、僕はあまり心配してはいません。我々はそうやって長い歴史を生き抜いてきた民族なのです。いつまでもショックにへたりこんでいるわけにはいかない。壊れた家屋は建て直せますし、崩れた道路は修復できます。
結局のところ、我々はこの地球という惑星に勝手に間借りしているわけです。どうかここに住んで下さいと地球に頼まれたわけじゃない。少し揺れたからといって、文句を言うこともできません。ときどき揺れるということが地球の属性のひとつなのだから。好むと好まざるとにかかわらず、そのような自然と共存していくしかありません。
ここで僕が語りたいのは、建物や道路とは違って、簡単には修復できないものごとについてです。それはたとえば倫理であり、たとえば規範です。それらはかたちを持つ物体ではありません。いったん損なわれてしまえば、簡単に元通りにはできません。機械が用意され、人手が集まり、資材さえ揃えばすぐに拵えられる、というものではないからです。
僕が語っているのは、具体的に言えば、福島の原子力発電所のことです。
みなさんもおそらくご存じのように、福島で地震と津波の被害にあった六基の原子炉のうち、少なくとも三基は、修復されないまま、いまだに周辺に放射能を撒き散らしています。メルトダウンがあり、まわりの土壌は汚染され、おそらくはかなりの濃度の放射能を含んだ排水が、近海に流されています。風がそれを広範囲に運びます。
十万に及ぶ数の人々が、原子力発電所の周辺地域から立ち退きを余儀なくされました。畑や牧場や工場や商店街や港湾は、無人のまま放棄されています。そこに住んでいた人々はもう二度と、その地に戻れないかもしれません。その被害は日本ばかりではなく、まことに申し訳ないのですが、近隣諸国に及ぶことにもなりそうです。
なぜこのような悲惨な事態がもたらされたのか、その原因はほぼ明らかです。原子力発電所を建設した人々が、これほど大きな津波の到来を想定していなかったためです。何人かの専門家は、かつて同じ規模の大津波がこの地方を襲ったことを指摘し、安全基準の見直しを求めていたのですが、電力会社はそれを真剣には取り上げなかった。なぜなら、何百年かに一度あるかないかという大津波のために、大金を投資するのは、営利企業の歓迎するところではなかったからです。
また原子力発電所の安全対策を厳しく管理するべき政府も、原子力政策を推し進めるために、その安全基準のレベルを下げていた節が見受けられます。
我々はそのような事情を調査し、もし過ちがあったなら、明らかにしなくてはなりません。その過ちのために、少なくとも十万を超える数の人々が、土地を捨て、生活を変えることを余儀なくされたのです。我々は腹を立てなくてはならない。当然のことです。
日本人はなぜか、もともとあまり腹を立てない民族です。我慢することには長けているけれど、感情を爆発させるのはそれほど得意ではない。そういうところはあるいは、バルセロナ市民とは少し違っているかもしれません。でも今回は、さすがの日本国民も真剣に腹を立てることでしょう。
しかしそれと同時に我々は、そのような歪んだ構造の存在をこれまで許してきた、あるいは黙認してきた我々自身をも、糾弾しなくてはならないでしょう。今回の事態は、我々の倫理や規範に深くかかわる問題であるからです。
ご存じのように、我々日本人は歴史上唯一、核爆弾を投下された経験を持つ国民です。1945年8月、広島と長崎という二つの都市に、米軍の爆撃機によって原子爆弾が投下され、合わせて20万を超す人命が失われました。死者のほとんどが非武装の一般市民でした。しかしここでは、その是非を問うことはしません。
僕がここで言いたいのは、爆撃直後の20万の死者だけではなく、生き残った人の多くがその後、放射能被曝の症状に苦しみながら、時間をかけて亡くなっていったということです。核爆弾がどれほど破壊的なものであり、放射能がこの世界に、人間の身に、どれほど深い傷跡を残すものかを、我々はそれらの人々の犠牲の上に学んだのです。
戦後の日本の歩みには二つの大きな根幹がありました。ひとつは経済の復興であり、もうひとつは戦争行為の放棄です。どのようなことがあっても二度と武力を行使することはしない、経済的に豊かになること、そして平和を希求すること、その二つが日本という国家の新しい指針となりました。
広島にある原爆死没者慰霊碑にはこのような言葉が刻まれています。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
素晴らしい言葉です。我々は被害者であると同時に、加害者でもある。そこにはそういう意味がこめられています。核という圧倒的な力の前では、我々は誰しも被害者であり、また加害者でもあるのです。その力の脅威にさらされているという点においては、我々はすべて被害者でありますし、その力を引き出したという点においては、またその力の行使を防げなかったという点においては、我々はすべて加害者でもあります。
そして原爆投下から66年が経過した今、福島第一発電所は、三カ月にわたって放射能をまき散らし、周辺の土壌や海や空気を汚染し続けています。それをいつどのようにして止められるのか、まだ誰にもわかっていません。これは我々日本人が歴史上体験する、二度目の大きな核の被害ですが、今回は誰かに爆弾を落とされたわけではありません。我々日本人自身がそのお膳立てをし、自らの手で過ちを犯し、我々自身の国土を損ない、我々自身の生活を破壊しているのです。
何故そんなことになったのか?戦後長いあいだ我々が抱き続けてきた核に対する拒否感は、いったいどこに消えてしまったのでしょう?我々が一貫して求めていた平和で豊かな社会は、何によって損なわれ、歪められてしまったのでしょう?
理由は簡単です。「効率」です。
原子炉は効率が良い発電システムであると、電力会社は主張します。つまり利益が上がるシステムであるわけです。また日本政府は、とくにオイルショック以降、原油供給の安定性に疑問を持ち、原子力発電を国策として推し進めるようになりました。電力会社は膨大な金を宣伝費としてばらまき、メディアを買収し、原子力発電はどこまでも安全だという幻想を国民に植え付けてきました。
そして気がついたときには、日本の発電量の約30パーセントが原子力発電によってまかなわれるようになっていました。国民がよく知らないうちに、地震の多い狭い島国の日本が、世界で三番目に原発の多い国になっていたのです。
そうなるともうあと戻りはできません。既成事実がつくられてしまったわけです。原子力発電に危惧を抱く人々に対しては「じゃああなたは電気が足りなくてもいいんですね」という脅しのような質問が向けられます。国民の間にも「原発に頼るのも、まあ仕方ないか」という気分が広がります。高温多湿の日本で、夏場にエアコンが使えなくなるのは、ほとんど拷問に等しいからです。原発に疑問を呈する人々には、「非現実的な夢想家」というレッテルが貼られていきます。
そのようにして我々はここにいます。効率的であったはずの原子炉は、今や地獄の蓋を開けてしまったかのような、無惨な状態に陥っています。それが現実です。
原子力発電を推進する人々の主張した「現実を見なさい」という現実とは、実は現実でもなんでもなく、ただの表面的な「便宜」に過ぎなかった。それを彼らは「現実」という言葉に置き換え、論理をすり替えていたのです。
それは日本が長年にわたって誇ってきた「技術力」神話の崩壊であると同時に、そのような「すり替え」を許してきた、我々日本人の倫理と規範の敗北でもありました。我々は電力会社を非難し、政府を非難します。それは当然のことであり、必要なことです。しかし同時に、我々は自らをも告発しなくてはなりません。我々は被害者であると同時に、加害者でもあるのです。そのことを厳しく見つめなおさなくてはなりません。そうしないことには、またどこかで同じ失敗が繰り返されるでしょう。
「安らかに眠って下さい。過ちは繰り返しませんから」
我々はもう一度その言葉を心に刻まなくてはなりません。
ロバート・オッペンハイマー博士は第二次世界大戦中、原爆開発の中心になった人ですが、彼は原子爆弾が広島と長崎に与えた惨状を知り、大きなショックを受けました。そしてトルーマン大統領に向かってこう言ったそうです。
「大統領、私の両手は血にまみれています」
トルーマン大統領はきれいに折り畳まれた白いハンカチをポケットから取り出し、言いました。「これで拭きたまえ」
しかし言うまでもなく、それだけの血をぬぐえる清潔なハンカチなど、この世界のどこを探してもありません。
我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々はなんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
最初にも述べましたように、我々は「無常(mujo)」という移ろいゆく儚い世界に生きています。生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。
僕の作品がカタルーニャの人々に評価され、このような立派な賞をいただけたことを、誇りに思います。我々は住んでいる場所も遠く離れていますし、話す言葉も違います。依って立つ文化も異なっています。しかしなおかつそれと同時に、我々は同じような問題を背負い、同じような悲しみと喜びを抱えた、世界市民同士でもあります。だからこそ、日本人の作家が書いた物語が何冊もカタルーニャ語に翻訳され、人々の手に取られることにもなるのです。僕はそのように、同じひとつの物語を皆さんと分かち合えることを嬉しく思います。夢を見ることは小説家の仕事です。しかし我々にとってより大事な仕事は、人々とその夢を分かち合うことです。その分かち合いの感覚なしに、小説家であることはできません。
カタルーニャの人々がこれまでの歴史の中で、多くの苦難を乗り越え、ある時期には苛酷な目に遭いながらも、力強く生き続け、豊かな文化を護ってきたことを僕は知っています。我々のあいだには、分かち合えることがきっと数多くあるはずです。
日本で、このカタルーニャで、あなた方や私たちが等しく「非現実的な夢想家」になることができたら、そのような国境や文化を超えて開かれた「精神のコミュニティー」を形作ることができたら、どんなに素敵だろうと思います。それこそがこの近年、様々な深刻な災害や、悲惨きわまりないテロルを通過してきた我々の、再生への出発点になるのではないかと、僕は考えます。我々は夢を見ることを恐れてはなりません。そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。人はいつか死んで、消えていきます。しかしhumanityは残ります。それはいつまでも受け継がれていくものです。我々はまず、その力を信じるものでなくてはなりません。
最後になりますが、今回の賞金は、地震の被害と、原子力発電所事故の被害にあった人々に、義援金として寄付させていただきたいと思います。そのような機会を与えてくださったカタルーニャの人々と、ジャナラリター・デ・カタルーニャのみなさんに深く感謝します。そして先日のロルカの地震の犠牲になられたみなさんにも、深い哀悼の意を表したいと思います。
国家議員の昨年2010年の1年間の所得報告書などを公開した
衆参両院は先日、国家議員の昨年2010年の1年間の所得報告書などを公開した。「YUCASEE MEDIA(ゆかしメディア)」はその公開資料に基づいて集計しランキングにまとめた結果、1位は麻生太郎元首相の1億5712万円だった(1000円以下は切り捨て)。今年は対象となる全議員の平均が2178万円と過去最低となるなど、財界だけでなく政界でも、お金の件に関してはあまり明るい話題はないようだ。
1 麻生太郎 1億5712万円
2 中村博彦 7707万円
3 豊田潤多郎 7464万円
4 鴨下一郎 7216万円
5 松本龍 7143万円
6 長谷川大紋 6468万円
7 伊達忠一 6419万円
8 三井わきお 5726万円
9 谷岡郁子 5060万円
10 古川俊治 4688万円
11 松木けんこう4622万円
12 三輪信昭 4404万円
13 鳩山邦夫 4251万円
14 中村喜四郎 4166万円
15 横峰良郎 4140万円
年間所得がこれだけ集める方に被災地で全財産を失った方の気持ちがわかるのだろうか?
わかる必要がないのでしょうか?
この世は全てお金で解決できる日本社会に堕ちていってしまうのが辛い。
1 麻生太郎 1億5712万円
2 中村博彦 7707万円
3 豊田潤多郎 7464万円
4 鴨下一郎 7216万円
5 松本龍 7143万円
6 長谷川大紋 6468万円
7 伊達忠一 6419万円
8 三井わきお 5726万円
9 谷岡郁子 5060万円
10 古川俊治 4688万円
11 松木けんこう4622万円
12 三輪信昭 4404万円
13 鳩山邦夫 4251万円
14 中村喜四郎 4166万円
15 横峰良郎 4140万円
年間所得がこれだけ集める方に被災地で全財産を失った方の気持ちがわかるのだろうか?
わかる必要がないのでしょうか?
この世は全てお金で解決できる日本社会に堕ちていってしまうのが辛い。
橋下知事「絶縁宣言」…大阪都否定的な堺市長に!!(ここが河村市長とは大きな違い)
橋下知事「絶縁宣言」…大阪都否定的な堺市長に
読売新聞 の記事では、橋本知事が公約を守らない竹山市長を絶縁宣言をした。当然といえば当然である。記事にもあるように橋下知事の絶大な応援をもらい選挙で当選しておいて、当選以降に公約を無効にする発言を繰り返したそうだが、ここが河村市長との大きな違いである。
河村市長が代表を務める減税日本の市会議員は河村市長の三大公約を一つも守らないどころか、背信行為を続けている。組合議会の報酬を廃止と訴えてきた河村市長であったが、減税日本の市議は誰一人として河村市長の意向に沿う者がいないのである。
一日も早く河村市長も減税日本市議団に絶縁状を叩きつけるべきである。
大阪府の橋下徹知事は22日、自身が代表を務める地域政党・大阪維新の会の会合で、大阪都構想に否定的な堺市の竹山修身市長について、「(対立する)平松邦夫・大阪市長と同じ位置づけだ。一線を引く」と述べ、「絶縁宣言」をした。
竹山市長は府の元政策企画部長で橋下知事の側近として仕え、2009年9月の市長選で知事の全面支援を受けて初当選した。しかし、今月9日の市議会では、都構想の柱となる区長公選制について、「(区長のもとに設けられる特別区を)別個の基礎自治体と認めることになる。(堺市の)七つの区は一体であるべきだ」と述べるなど、都構想に否定的発言を続けていた。
橋下知事は会合終了後、報道陣に対し、「政治的には距離を置かざるを得ない」と明言した。
読売新聞 の記事では、橋本知事が公約を守らない竹山市長を絶縁宣言をした。当然といえば当然である。記事にもあるように橋下知事の絶大な応援をもらい選挙で当選しておいて、当選以降に公約を無効にする発言を繰り返したそうだが、ここが河村市長との大きな違いである。
河村市長が代表を務める減税日本の市会議員は河村市長の三大公約を一つも守らないどころか、背信行為を続けている。組合議会の報酬を廃止と訴えてきた河村市長であったが、減税日本の市議は誰一人として河村市長の意向に沿う者がいないのである。
一日も早く河村市長も減税日本市議団に絶縁状を叩きつけるべきである。
大阪府の橋下徹知事は22日、自身が代表を務める地域政党・大阪維新の会の会合で、大阪都構想に否定的な堺市の竹山修身市長について、「(対立する)平松邦夫・大阪市長と同じ位置づけだ。一線を引く」と述べ、「絶縁宣言」をした。
竹山市長は府の元政策企画部長で橋下知事の側近として仕え、2009年9月の市長選で知事の全面支援を受けて初当選した。しかし、今月9日の市議会では、都構想の柱となる区長公選制について、「(区長のもとに設けられる特別区を)別個の基礎自治体と認めることになる。(堺市の)七つの区は一体であるべきだ」と述べるなど、都構想に否定的発言を続けていた。
橋下知事は会合終了後、報道陣に対し、「政治的には距離を置かざるを得ない」と明言した。
人間で一番大切なことでは無いでしょうか
人間が幸せに生きるためには、学校での知識教育以外に
自分以外の他への深い思いやりのこころを学び、習得する必要があります。
それがないまま成長した子どもは、これからの時代は生きていけません。
近くで、または遠い国で困っている人までを
思いやることのできるこころこそが、学び、
磨いていかなくてはならない能力です。
人間で一番大切なことでは無いでしょうか?
自分以外の他への深い思いやりのこころを学び、習得する必要があります。
それがないまま成長した子どもは、これからの時代は生きていけません。
近くで、または遠い国で困っている人までを
思いやることのできるこころこそが、学び、
磨いていかなくてはならない能力です。
人間で一番大切なことでは無いでしょうか?
いまを大切にして努力しましょう
『入菩薩行論』ではこう説かれています。
もしも改めることができるなら、
憂うべきことなど一体何があるのだろうか。
もしも改めることができないのならば、
憂うことで一体何の役に立つというのだろうか。
逆境を乗り越える、ピンチをチャンスに変える。
このようなことは良く言われることですが、
非常に大切なことではないでしょうか?
絶望するのではなく、継続的な発展、
次へとつなげて行くこと。
そのように考えられることはないかと、
ご自身の身の回りを見渡してみると良いかと思います。
もしも改めることができるなら、
憂うべきことなど一体何があるのだろうか。
もしも改めることができないのならば、
憂うことで一体何の役に立つというのだろうか。
逆境を乗り越える、ピンチをチャンスに変える。
このようなことは良く言われることですが、
非常に大切なことではないでしょうか?
絶望するのではなく、継続的な発展、
次へとつなげて行くこと。
そのように考えられることはないかと、
ご自身の身の回りを見渡してみると良いかと思います。
河村市長と減税日本市議団の大きな考え方に開きが・・
減税日本市議団に暗雲報道によると、同市議団の則竹団長はかねてから「議員特権だ」と批判し受け取りを拒否し続けてきた費用弁償を陰でこっそり受取っていた。
則竹氏が受け取りを拒否してきた費用弁償は市が供託し、累計536万円になっていた。費用弁償制度は市民の厳しい批判からその後廃止されたが、則竹氏によると「制度が廃止されたことで、一定の役割を果たした」と考え、その供託された金536万円の還付手続をし、受け取ったというものだ。
議員報酬が半減されたことで台所事情が逼迫してきたのかもしれない。費用弁償を受取ること自体はなんら違法ではないが、市民に対し「私は受取らない」と約束し、選挙で当選してきたことからすれば市民を裏切ったことになる。則竹氏に投票してきた市民が彼をどう評価するかは今後の問題だが、本人は団長は退いたが議員を辞める意向はないようだ。
減税日本市議団内部では「金」にまつわる事柄でぎくしゃくしている。
河村市長「組合議員の報酬は二重取りだ」と批判している名古屋港管理組合の議員報酬を、その議員となっている2名の減税日本市議が受取っていたこと、また、5月分の政務調査費45万円を所属議員の口座に事前に振り込むなどルーズな扱いが目立つ。
6月市会を控えこのような状態では先回の市会と同様他会派からの激しい追及に再び右往左往することになるだろう。
そんな状況の中、河村市長は6月市会には市民税の恒久減税案の提出を避け、議員報酬半減の恒久化も提案しないこととなった。
則竹氏が受け取りを拒否してきた費用弁償は市が供託し、累計536万円になっていた。費用弁償制度は市民の厳しい批判からその後廃止されたが、則竹氏によると「制度が廃止されたことで、一定の役割を果たした」と考え、その供託された金536万円の還付手続をし、受け取ったというものだ。
議員報酬が半減されたことで台所事情が逼迫してきたのかもしれない。費用弁償を受取ること自体はなんら違法ではないが、市民に対し「私は受取らない」と約束し、選挙で当選してきたことからすれば市民を裏切ったことになる。則竹氏に投票してきた市民が彼をどう評価するかは今後の問題だが、本人は団長は退いたが議員を辞める意向はないようだ。
減税日本市議団内部では「金」にまつわる事柄でぎくしゃくしている。
河村市長「組合議員の報酬は二重取りだ」と批判している名古屋港管理組合の議員報酬を、その議員となっている2名の減税日本市議が受取っていたこと、また、5月分の政務調査費45万円を所属議員の口座に事前に振り込むなどルーズな扱いが目立つ。
6月市会を控えこのような状態では先回の市会と同様他会派からの激しい追及に再び右往左往することになるだろう。
そんな状況の中、河村市長は6月市会には市民税の恒久減税案の提出を避け、議員報酬半減の恒久化も提案しないこととなった。





